もう入籍から2年半もたってしまったけど結婚式をした。そんな時ぐらい惚気てもいいじゃあないか。
という、題だけどせっかくなのでこの記事は妻・夫を愛してるITエンジニア Advent Calendar 2017 (12/19)の記事にもなってたりします。書いてみて思ったけどあんまりエンジニア的な話とは関係なかった。
自己紹介
アドベントカレンダー経由で見る人もおられると思うので書いておこうと思います。
夫(僕)
- エンジニアとしてのキャリアは長くない
- 仕事ではサーバーサイド
- 趣味はフロントエンド
- いろいろ全く別の業界での仕事をいくつかしてエンジニアになりました
- 世界をいろいろ旅をしてました
- ユーラシア大陸を陸路で横断
- 南米大陸を陸路で一周
- 多言語話者
- 日本語(母語)、英語、スペイン語、広東語
- 元武道家
- ゲーム全般が好き
- アナログは中量級の読み合い重視のゲーム
- デジタルはアクションゲー、元格ゲーマー
- 料理好き
- 革細工もたまにやります
妻
- 自然系の職業
- 野外泊は余裕です系?
- 動物大好き
- 植物大好き
- 編みものとか好き
- 英語喋れる
で、今さらだけど結婚式した
出会ったときには僕はもう南米に旅に行くことを決めてた。しかも当時は2年予定。それでも宣言どおり付き合って半年ぐらいで旅立った。一人で。で、まあいろいろあって、僕がパラグアイに居たときに妻さん(当時、彼女)の仕事の都合が1ヶ月ぐらい時間ができたので、合流してブラジルで農業したり、熱帯雨林のほうに行ったり、そんなんでプロポーズして。それでもまた一人で旅を続けて。別の理由から帰国を早めたものの、結局1年ぐらい待たせた。
僕の帰国後すぐ二人で住み込みで冬の山で働き、雪が融けて山を降りてすぐ入籍した。入籍もそれだけで、式もなければ指輪もない。別に二人ともそれに興味がなかったからなんだけど、それから約2年半、つい先日結婚式を挙げた。
入籍当初のまあ写真ぐらいは撮っておこうか、なんて話後回しにした挙句だ。どうせ写真撮るぐらいなら式を挙げてしまえ、と式をした。もっと先伸ばしにしたらきっとやらなくなってしまうだろうと思ったからやった。法律的に結婚してたけど神道的に結婚してないからやった。そんな感じ。
で、結婚式あげての感想
よかった。なんか1つのいい節目になった気がした。喉につかえてた骨がとれた気がした。両親と兄弟だけを呼んだ簡素なもので、披露宴もなく食事会で解散というごくごく小さな結婚式だったけど、すごくやって良かった。入籍して2年半、特に仲違いすることもなく来てるけどあらためて縁を結びなおした感じ。
結婚式を挙げることになって、場所を見たり日取りを決めたり、あれやこれや決めたり準備したり、今まで知らなかったことが知れたというのと、やる側の体験をしたっていうのが凄くいい経験になった。大変さがわかった。世間はこれに披露宴とか二次会とか、はては新婚旅行やるのかと思うと尊敬する。それが身に染みて理解できただけでも良い経験になった。
で、結婚してから思うこと
前にも書いたけど、結婚契約書は作って良かったと思う。契約を決めることが良いんじゃなくて、契約を決めるにあたっての暗黙の了解とか勝手に思いこんでる部分に関してちゃんと話しあうきっかけになったのが良かった。
それでもまだまだ意見が合わない部分があるなぁ、と日々思う。が、妻さんじゃなかったらもっと合わないと思う。僕は自分で理屈屋で偏屈な部分があって、自分の決めた意見に関しては強い主張がある人間だと思う。意見が合わないといえども冷静に見れば多分妻さん以上に良い人に巡り会えないだろうと思ってる。そう思ったから結婚したんだけども。
で、本題
じゃあウチの妻さんのここが良いってところを、せっかくのこの節目に挙げていこうと思う。
虫を怖がらない、それどころか触りたがる
僕も虫は刺したりして痒くなったり痛いのが続いたりする奴以外は全然大丈夫。旅の最中で蚊やブヨ、百足にダニに南京虫に比べれば刺さない虫なんてどうということはない。妻さんもそんな感じ。むしろ、そこらにいる虫、バッタや蜘蛛なんかは率先して掴まえにいって可愛がるタイプ。
僕は人が虫嫌いになるのは後天的だと思ってて、小さいころは掴まえたりして遊んでたのに大人になるにつれ嫌いになると思ってる。それは人間社会で嫌うのが常識、みたいになっているがゆえの社会的理由だと思ってる。害はないどころか場合によっては益虫も▽いるのに。
それを、見ただけでキャー! 飛んだらキャー! なんてドタバタされるとうるさくてかなわん。虫よりうっとおしい。なんかそういう過剰に拒絶反応する人が僕はとても苦手。わりと女性にそういう人が多い傾向にあると思う。だから女性で虫を苦手じゃないってのはかなり得がたい嬉しいポイント。
英語を喋れる
僕が海外をフラフラしてたので海外の友人がけっこう多い。で、その友人達がたまに日本に遊びにきたりする。そこへ妻さんも同席したりする。もし仮に英語ができなかったら話がまったく入れない、もしくは僕が通訳しなきゃいけない。直接コミュニケーションがとれない、ってのは身振りや雰囲気でつたわるし、カタコト英語でも通じることもあるからどうでもいいんだけど、僕と友人の話に入れないって状況だったら大変だと思う。
僕らの場合、相手が外国人の場合はなるべく僕ら夫婦も英語で会話して友人にも僕らがどのような会話してるかわかるようにしてる。そうするとみんなハッピーでしょ。それが簡単にできるので英語ができる妻ってのは、僕が英語に不自由なくてもかなりありがたい。
僕の友人にも上手くつきあってくれる
海外をフラフラしたたり、職をいろいろ変えたり、ネットで遊んでたり、武道もやってたり、地元の友人がいたり、そんなことをしてたら僕はわりと友人が多いほうだと思う。そんな和なかにも妻さんも入ってきてくれるのがありがたい。誰でも初対面はそれなりに構えるしエネルギー使うし大変だと思う。今ではけっこうな数の僕の友人達が妻さんともちゃんと友人になってくれて、すごく楽しい。
ゲームにつきあってくれる
僕はけっこうゲーマーなんだってことをわりと最近気づかされた。妻さんもちょっとゲームはやるとはいえ、僕ほどガチじゃない。それでも一緒にやったりしてくれるので、楽しいひとときを過ごせている。ガチの対戦系はさすがに年季が違うのか、僕のほうが優勢すぎてやらないけど、それでも僕が好きでやってるゲームに興味をもったりしてくれるのはありがたい。
ゲームをやらない人だとゲームをやってる僕が遊んでばっかり、みたいになってしまうので理解がある妻でほんと良かったと思ってる。
創作趣味がある
僕は常々、趣味は創作趣味と消費趣味を1つづつは最低持つべきだと思ってる。ほんとに余力がないとどんなに好きでも創作趣味が難しいときがある。それで消費趣味が必要なんだけど、かといって消費趣味だけだといろいろとキツい。満足感とかコスパとか。
僕もいろんなものを自分で作りたがりなので、例えば僕がPCをカタカタしてたり、革細工をやってる横で編み物してたり、という光景をふりかえると幸せな一時だなぁ、って思う。
自然に詳しい
僕が逆に自然に詳しくないからなんだけど、自然に詳しいことによって僕と妻さんでは見てる景色が明確に違う。二人で外を歩いてるとよく草木を見てる。単に草木の名前を知ってるだけじゃなくて、生息に関する情報を知ってるとなると、同じ木を見て得る情報量が全然違う。
素直に尊敬する。ややもすると羨ましいとさえ思う。自然からそれだけの情報がわかるんだったら楽しいだろうなーって思わせてくれる。自分にはあんまり興味なかったことを気づかせてくれて、教えてくれるのはそれだけで尊い。
僕のやりたいことを理解してくれる
僕は忙しかろうが週末にもジムにいったり、勉強会に参加したり。ゆっくりした日でも夢中でコード書いてたり、なんか作ってたり、ゲームに没頭してたり、ずっと本読んでたり。家のこともそこそこにいろんな事に手を出してる気がする。そんなことを続けてても基本的に咎められないのはありがたいなーと思ってる。
僕は、何か自分にとってやりたいことを決めたら他のことをほっぽってもやるタイプ、自分が多少しんどくても決めたことはやる、向上に繋がることはどんどんやる、というタイプなので容認してくれるのはありがたい。
酒好き
妻さんも僕のお酒飲むのが好き。ほぼ毎晩飲んでる。一人だけで飲むのはつまらない。僕の母は下戸で、僕の父親は晩酌派だったけど、父はいつも一人でちょっと寂しそうに飲んでる。だからこそ一緒に飲む相手と一緒に生活してるってだけで幸せなことだなぁと思う。二人で飲みながらゲームとか最高でしょ。
僕の気がつかないことに気がつく
僕はかなりシングルタスクで、いろんなことに気がつかない、気がまわらないことが多い。そして、気にしないことも多いなあと思う。気にしないことが多いのは利点でもあったりするけど、自分だけで生きられない以上、欠点にもなりうる。そういうときに気にしてつっこんでくれたりする存在がいるっていうのはありがたい。
家事もちゃんとやってくれる
僕は自分で家事も料理もやる。というか、当たり前なんだけど。妻さんも僕以上に家のことやってくれる。世間では家事は妻の仕事とされてるケースも多いと聞くけど、僕の中でそれはない。ありえない。家事は女性も男性も不自由なくできる仕事だから僕の中でやって当たり前の仕事。妻にだけ任せる理由がない。だから妻さんがご飯作ってくれるだけでもありがたいと思ってる。一人暮らしだったら全部自分でやるところ分担してできるだけで僕の中ではありがたいんだよなぁ。
おしまいに
と、まあこんな感じで挙げればキリがない。逆に合わないことも挙げようと思ったらそれなりにあるけど、そこは僕が気にならないからいい。今までの外国人と暮らしたりする経験の中で、そもそも言わなくてもわかる、常識を共有してる、と思うこと自体が非常識な世界で暮らしてきた。なので合わないことがあっても、大したことじゃない。さっきも言ったように、それ以上に合うこと、ありがたいと思うことが多すぎて妻さん以上の人が居ないと思ってるから幸せでしかたがない。
ずっと一人の旅人暮らしをしてきたもんで、自分のことは自分でするのが当たり前。なんだって自分でするように、できるようにしてきた。というかせざるをえなかった。むしろ頼ってたまるかこのやろう、と思ってやってきた。今でも一人でも何の不自由なく暮らしていける自負はある。
そんな昔をベースに考えたら今はいろんな事が助かって仕方がない。家事も食事の用意も分担してできるし、違う国の人との暮らしを考えたら合うところが多くて楽すぎて仕方がない。自然に詳しいし、自然的にハードな環境に強いのは逞しくて頼りになって仕方がない。
妻さんが必要かどうか、という問いがあったとしたら、ドライに答えれば不必要と言えるのかもしれない。僕の妻が、というより妻という存在が、なんだけど。その意識は結婚する前から変わってない。だって一人で身の周りのことができない男なんかカッコ悪いでしょう。そんな男で居ることは僕自信が許せない。
じゃあ妻さんと一緒に居る意味はないのか、というとそんなことは全くなく、むしろ結婚するときに「僕もあなたも一人で何の不自由なく生きていけるだけの強さがあると思う。でもあなたと一緒なら一人で居るより絶対楽しく生きていける自信がある」と言った気持ちは今も変わってない。
ちなみに入籍をするときも、結婚式を挙げた今も「あなたを幸せにします」とは言ったことがないし、言うつもりもない。幸せになる、ならないは自分の気持ちの持ちようなので、相手の幸せは僕のコントロール範囲外だ。「幸せにします」は嘘になるので言わない、絶対。無責任にそんな約束はしない。逆に僕の幸せを担保して欲しいとも思わない。僕の幸せは僕がコントロールすることであって妻さんに任せてはいけないと思ってる。各々が各々の幸せを自分で上手いことやって、そんな二人が一緒だったらもっと幸せ、という話。
そんなこんななんやかんや結婚に対してネガティブな意見があったりするけど、全然そんなこと思ったことない。一緒に居てありがたくて、楽しくて、幸せな日々を過ごしてる。合うところ合わないところも全部ひっくるめて結婚して良かったなぁ、と思う日々です。