言語表現に見るスマホ世代と我らの境界線
- 雑記
ここ1,2年前からふと気になる言葉を聞く。なぜだか僕はそれを耳にすると強烈にジェネレーションギャップに隔絶された感をつきつけられる。
アプリを「取る」表現
「落とす」ではないのか。なかったのか。どこかを境にアプリやデータなどを「取る」と言う層と「落とす」と表現する層で分かれる気がする。
一方的違和感
恐らく僕を含めた「落とす」層だけが「取る」に違和感を覚えるだけで、逆に「取る」層からしたら「落とす」に違和感を覚えてないような気がする。僕の見立てではスマホ世代が「取る」と表現する気がする。いつからそれが一般的になったんだろう。ネットをあまりヘビーに使わなくても、僕等世代は「落とす」のほうが一般的に使われてる気がする。
ネットは概念的に上にある何か
「オンライン」「ログオン」「アップロード」「ネット上」とかネットにまつわる表現を見ると、どうも上にあって、かつその上に乗っかるもののような概念が通例だった気がする。今で言うとクラウド的な。いや、クラウドがそもそもネットの一部だから、以前で言うネットの概念にとって変わったと考えるべきか。
取るという表現を考察
そもそも「取る」表現が一般的になったのは何きっかけだろうか。スマホ世代と仮定するなら、雨後の筍のように乱立するアプリ紹介サイトで使われだしたのだろうか。僕個人の感覚取ってくる、と言うと違和感がないけど、取る、というとなぜだか違和感。例えば
- あのアプリをどこそこから取ってきて、こうしてやればできる
- あのアプリを取ったんだけど上手く動かない。だから別のアプリを取ればいい
なぜか前者は今までも使ってた気がするけど、後者には強烈に違和感を覚える。「入手」するという行為自体にフォーカスがあるからだろうか。
スマホ世代あたりからの表現だとすると今まではネットはつなぐものだったのが、スマホの普及によって場所も時間も関係なく常時オンライン状態だから、どこか上がってるものからに対して「落として」くるものじゃなくて、「取る」になるのかな。ネットと僕等の位置関係が上下のレイヤーに分かれてないというか、同階層、もしくはもはやレイヤーに分かれた概念じゃないのかもしれない。
おしまいに
言語学者でもなんでもないから、本気で考察しないけど、この違和感は僕だけだろうか。そういえば通例化してる「DLする」という表現。Downloadは一語だから、以前書いたBookmarkをBM表記するのと同じ誤略な気がする。でも気づかなかった。ならばいっそもう「GET」で統一したらいいのかもしれない。