伝わる文章が下手なのはノルマ型の制限が問題なんじゃないか

週末、友人の家でピザパしてた。ピザパーティ。楽しかった。その友人は比較的低年齢相手の教育関係者なんだけど、国語が難しいって話をしたところから、読書感想文の話題になった。

読書感想文の不思議

読書感想文体系

覚えてないだけかもしれないけど、僕は読書感想文の書き方、むしろ読書感想文自体を体系的に勉強した覚えがない。何の為に誰にむけて、何を目的として書くのか、どのような構成で書くのか。そういうのって知らない。

ノルマ型成果判定

そういうのを教わらずにさあ書け、しかもノルマは原稿用紙5枚分だ、と。いやいや、ちょっと待ってくださいよ。思ったことを自由に、なんていいながらノルマは設定されている。どう書くべきなのかわからないから、成功判定としてノルマをまっさきに狙いに行くハメになる。そうして出来上がるのは、無駄に冗長化した文章や、小狡い行数稼ぎの改行。それで何の能力が伸びるのか。

読書感想文とは何なのか

報告書でもなけりゃ、小論文でもない、読書感想文とはいったいなんなのか。今思うのは、誰に向けて、何を目的として、どのような構成で書くのか、を教えてほしかったなぁ、と。そして良い感想文と悪い感想文の論理的な解説も。

なんのため文章

求められる文章の種類

学生のころ、小論文の書き方、社会に出てから報告書の書き方も習った覚えがない。社会に出てからはまぁ出来て当然、出来なきゃ自分で勉強しろスタンスで責められるからやるしかないんだけど。だったら、真っ先に読書感想文より、読書報告書を書き方を教えてしかるべきじゃないかね。

日本語の特性

外国語を喋れるようになって、つくづく思うのは日本語の曖昧さ。接続詞や修飾ルールの自由度がハンパない。結果として、読書感想文の冗長化のように真意がバチっとわからない文章になりやすい。そこに味わいがあるのも確かなんだけど、それだと当然報告書としてはバツを喰らう。

なんのための文章なのか

こういう経路を辿って文章を書くようになると、これじゃあ修練もなしで理解させること、理路整然とした論理的な文章を書けるわけがないなぁと。まずは伝えるための論理的文章を書く技術っていうのをもっとちゃんと勉強したかったなぁと。だけど、伝えるための文章があって、それとは別に楽しませる文章を書く技術も悪じゃない。小説が無かったら生きる楽しみの3割は失なわてしまう。

そして僕が書いてるこの文章はじゃあなんなのか、というと書き手が楽しむための文章です。と、言い訳しつつももっと素敵な文章を書けるようになりたいなぁ。

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