鬼滅の刃が嫌いだった話。或いは知ってる前提で進まれると寂しさを感じるという話。
- 雑記
僕は鬼滅の刃が嫌いだった。正確に言えば、鬼滅の刃を知ってることが前提になった世の中から取り残されてる気がして寂しさを覚えて、その原因が嫌いだった、という話。ただのポエムです。先にいっておきますが、すごいとりとめもなければ、まとまってもいない話です。
ちなみにその後、鬼滅の刃を読み、面白かったと思ったし、使われていた言葉も理解できたので今は嫌いではないです(かといって好きでもなく、普通に面白かった作品の1つ、という位置付けですが)
爆発的ヒットによる大衆の常識化
鬼滅の刃が近年稀にみる爆発的なヒットとなったのは記憶に新しいと思います。メディアはこぞってとりあげ、タイアップものも沢山でるようになりました。テレビではなんとかの呼吸だとか全集中だとか良く耳にしましたね。
この時の世界はまるで、全ての人間が鬼滅の刃の内容を知っていて、呼吸だとか集中だとかも知っているのが常識みたいな流れではなかったでしょうか。
当時、鬼滅の刃に興味を示さなかった僕としては、すごい疎外感を覚えました。それと大の大人が割とマジメになんとかの呼吸だの全集中とか言う様を見て、なんか恥ずかしいような気持ちさえありました。
これらがいろいろ混ざりあった結果、その元になっている作品がなんとなく嫌いだな、という感情に発展しました。
僕らの世代がやってきてしまったこと
しかし、ふと冷静になってみるとこの現象は僕らの世代が今までやってきたことにとても近いなと考えるようになりました。
僕はいわゆるジャンプ黄金期と呼ばれる時代に少年期を過ごしました。化け物のようはヒット作が数多くでましたが、その中でもドラゴンボールは突出してると言えたでしょう。
そう、僕らの世代でドラゴンボールを知らない人がいるなんて考えたことありません。かめはめ波はもちろん、界王拳やスーパーサイヤ人などみんなもっている共通認識だと疑ったこともないほどです。
そしてドラゴンボールは原作のほかTVシリーズでは続編があったこと、再放送やゲームが出続けたことにより、幅広い世代に受け入れられたと認識しています。今と比べて娯楽が少なかったことや、ネットやスマホなど同じ時間を食い合う存在が少なかったこともあるでしょう。
規模や期間は違えど最大瞬間風速的なものは同じ感じかなと思います。
以前、今の若者世代の中でドラゴンボールにあまり馴染みがない層から、オッサンはなんでもドラゴンボールに例えるから不快、という意見を効いたことがあります。まさしく、今回の鬼滅ヒットではこの逆の現象が僕におきてたのかもしれません。
まあ、呼吸や集中というWordや行動はドラゴンボールのそれに比べて日常により近く、その結果だれでも口にしやすい背景はあると思いますが、それでも僕が界王拳! とか高校生にもなって叫んでたら恥ずかしいので、やっぱりなんとかの呼吸! とか全集中! とかみんなよく恥ずかしくないな、と思わざるをえませんが。
知っていることが前提で進まれることへの不快感
とまあ、ここまでで何が言いたかったかいえば、前提知識が必要なことをさも常識のように話されると不快だというだけの話なんですが、思いあたったことが他にもあります。
ロードオブザリング(指輪物語)つまりファンタジー
今あるファンタジーの基礎を作ったものの1つではないでしょうか。映画、ヒットしましたが、僕は1作目の冒頭でつまらなさが勝ちました(後に理解してちゃんと観ましたが)。
いわゆるエルフ、ドワーフ、オークなどがでてきます。これらはそれ以後いろいろな作品にも登場します。基本は近いものがありますが、作品数が多すぎてわりとブレています。
そして映画ロードオブザリングのツラかったところは、こういう存在がどのようなものかほとんど触れられないことです。つまり予習前提の映画になっています。映画というある程度限られた尺の中に詰めるのは無理があったのかもしれません。
時代劇
僕は時代劇が大好きなんですが、そんな僕に言わせれば、時代劇もファンタジーの一種です。日本の中世ベースにしたファンタジーです。
同年代で若い世代であまり時代劇が好きな人にあったことがありません。逆に僕らの親やその親の世代はわりと好きな人は多い印象です。これは親やその親の世代は時代劇の世界と自分達がそれほど遠くなく、またさらに娯楽の少ない時代ですので慣れ親しんでいたのもあるでしょう、つまり上の話で言う予習済み状態です。
自分が何も知らない前提で時代劇を読んでみると驚くほど説明が少ないです。将軍とか、殿様とか、侍とかそのへんはまあ知ってる人も多いと思いますが、時代劇を読むと普通に大目付や近習などの役職や、部屋住みなどの背景事情が含まれた用語が沢山でてきます。これを知らずに世界を味わったりはもちろん時には物語を追うのが難しいほどです。しかもこれらに対して説明があることは稀です。あったらあったで野暮なんですが。
と、こういうことが原因で時代劇の入口はなかなか狭いんだろうなあ、と感じます。
その後の対策
結局そこまで鬼滅の刃に興味はなかったものの、知らないことで受ける微弱なストレスが面倒に感じたので原作がそう長くもないのもあって一気に読みました。読んだことが無駄だとは思わない程度には面白かったです(残念ながら世間で話題になるほどハマりもしませんでしたが)。
今回思ったのは、一過性のヒットが常識のようになって、知っている前提で話されることが多くなってくると寂しい気持ちになることが多いので、とっとと履修してしまったほうが楽だなあ、という話でした。
その教訓を元に次は中学三年生以来見ていないエヴァを序から追っていこうと思います。